2016/07/16

投資や融資で世界の富が増えるのか

結論的には、投資や融資で富が増えることはない。

「FXはゼロサムで最後には誰も儲からないが、株はそうではない」そう言われているのも正しくはない。専門家といわれる人たちも含め、多くの人が勘違いしている点だ。

銀行で借用書にサインしたり、ネット証券でクリックしたりするだけで富が増えるわけがないことは、よくよく考えれば、子どもでも分かることなのだ。
世界の富を増やすには、皆がまじめに働き豊かな世界を作るしかないのだ。
しかし、経済を少し勉強したことのある人のあいだでは、信用創造や株式時価総額の増加により世界の富は増えていることになっている。この誤解を解き、経済を正しく理解してみたい。

株式の時価総額が増えると富が増えるか

まずは、株式の時価総額が増えると何が増えるのかを考えてみたい。

世界の株の時価総額は65兆ドルだが、この株価をつり上げ10倍の650兆ドルにすることは可能だ。
なぜ、証券会社がネット上でデータをやりとりしただけで経済価値が10倍にも増えるのだろうか。世界は一瞬にして10倍も豊かになったのか。

もちろんそんなはずはない。じつは、株式時価総額の多くは会計上の未実現利益でありその多くは、実際には換金できない架空のものだ。

650兆ドルの時価総額を650兆ドル分の食料や金塊に変えることはできないのだ。その仕組み上、実際にその値段で換金できるのはその一部分に過ぎない。
それを全員が利益を得られている状態だと勘違いしたのがバブル相場の正体だ。実際には、富が増えているわけではないので、多くの人が株を現金に換金して、派手に散財すれば最後には帳尻が合わなくなるわけだ。

未開の地を開拓して天然資源や人的資源を拾得し、それにより企業の利益が増えるならば話は別だが、実態が変わらないのに金融政策や上昇相場で株価が上がるのは、世界の富は一定なのに、架空の評価額が変わったに過ぎない。株価上昇とは、じつはそれほど意味のあることではないわけだ。

このように考えれば、株式市場の参加者全員が儲かることはあっても、世界全体が儲かることはない。
従い、投資家や証券会社は、お金の流れを最適化したり右から左に動かす仕事であり、富の増加には貢献しているわけではないのである。

融資による信用創造で富が増えるか

さて、信用創造では富が増えないのか。こちらは、実態のある経済活動のはずである。残念ながら信用創造も同じだ。単に会計上のバーチャルな資産が増えて流れが良くなるだけで、世界の富が増えるわけではない。

では、バーチャルな資産とは何だろうか。アベノミクス以降に誕生した小型株の投資家のように、何十億と持っていても毎日カップラーメンを喰って電車で来る輩がいたり、農家のように稼いだ分を使わずに、すべて蓄えにまわしたりする人々がいる。

働いて得たお金とは、自分が社会に対して価値を提供した見返りに、世界の富を利用する権利だと考えてみよう。働かずして得たお金も同様だ。
さて、人々は宵越しの金を持たないとは限らず、貯蓄をする。手持ちのお金をすべて物に替えて消費しているわけではないので、人々のお金は常に余るのだ。
これを経済システムのなかで、便宜上、他人に貸してあげるのが信用創造だ。

金持ちなのに毎日カップラーメンを食べる人は、会計上の富の蓄積があり、いつでも富を得る権利はあるが、今日は、お金を富に交換することを遠慮している状態だといえる。
そのぶん、金融市場を通じて、富の一時的な付け替え、貸し付けが行われている。
まさに今日、世界の富を使いたいと考えている、他の人がそれを消費しているわけだ。他の人とは、ローンを組んで不動産を買う人、銀行からお金を借りて設備投資をする企業だ。

つまり、信用創造においては、富が増えたのではなく、余ったお金の最適化が行われたに過ぎない。
最適化とは、お金の流れがよくなることだ。このように、貨幣の流通を中心とした経済システムでは、お金が余っている人の手元から、今すぐに使いたい人の手元へ瞬時に富の移動がされ、互助組合のような仕組みになっている。
そして、この富の利用権がお金であり、それを管理、仲介するのが銀行融資による信用創造だ。

お金とは譲渡可能なパン券(食堂に持っていくとパンがもらえる券)のようなものなのだ。おなかが空いていない時にもらったパン券は、誰かに貸し出す。
そして、このようなシステムであるがゆえに、誰かが資源を使いすぎないように(限りあるパンを食べられ過ぎないように)管理して、帳尻を合わせなければならない。それが日本銀行をはじめとする中央銀行の仕事なのだ。

中央銀行により、世界の富はクラウドのように資源管理されている

クラウド化されたサーバーでは、すべての人が同時に世界の資源を使わない限り、クラウド上にあるハードウェア資源を超えるCPUを利用者に割り当てても問題は発生しない。
本来は100台しかないCPUを1,000人に割り当ててレバレッジを効かせることができるというわけだ。
それと同様、信用創造によるレバレッジは、資源の利用権を多くの人に多重配分する。
だが、多くの人は、今日中に割り当てられた資源をすべて食い尽くすわけではないので、信用創造による多重配分が経済に問題を与えるのは資源の使いすぎ(バブル)が発生したときだけだ。

このような仕組みであるため、誰かが資源を使いすぎてしまったら、富の利用権は豊富にあるのに、あえて、今はカップラーメンを食べている人、そして、将来に備えるために、蓄えていた人の取り分に欠損が発生してしまう。

この欠損は、増税による富の回収や、インフレタックスとよばれる手法により埋められることになる。
インフレタックスとは、せっせと貯蓄を続けて預金残高という会計上の利益を積み上げた人たちに対して、将来的に支給するパンの交換レートを下げて富の配分過剰を調整することだ。
間接的な資産の没収だが預金残高自体は減らされないため多くの人は気がつかない。その預金額で得られるパンの数が減るだけなのだ。日銀や年金機構などは、いままさに、どのようにして、勤勉に貯蓄を続けてきた人たちに対して欠損を押しつけるかを考えるフェーズに来ているといえよう。

このように考えれば、お金は使って財と交換して、そこではじめて利益確定できる権利だともいえるだろう。
「お金は墓場には持って行かれないんだから、どんどん飲んで、早く使い切った方が良い」という酔っ払いの名言は、あながち間違いではないわけだ。

逆に、この仕組みをうまく使い、信用創造で他人から借りたお金で遊び尽くし、自分は富を生産せず、そのまま裕福に死んでいったとしよう。これでは当然、後日に欠損が発生する。昭和バブル期はそういう時代だったといえるだろう。