2018/12/20

信用保証協会のあり方について

保証協会の仕事は、建前としては、「金融機関が零細企業に金を貸すと、返ってくるのか返ってこないのか分からない。怖くて貸せない。だから保証協会が債務に政府保証を付けますよ。そうすれば零細企業相手でも無リスクになりますよ。だから安心してたくさん貸して、日本を支えている縁の下の力持ち、零細企業に流動性を提供しましょう」ということである。

しかし、実際はどうだろう。金融機関の仕事は金を貸すことではなく金を貸さないことになっている。ど田舎の村ならばともかく、都会で「貸し先がない」とぼやいている営業マンには、なかなか同情しにくい。

この遠因の一つが保証協会付け融資ではないだろうか。

保証協会保証により金を貸した=当行の貸し出し という認識をしている金融機関が多いが、それは政府保証債を買っているようなもので、何のリスクも取っていない。リターンだけを得ているといえる。お金を借りたいです。と営業と話したときに「まずは保証協会から」というのは銀行あるあると言えるが、これは体の良いお断りなのである。「この客のためにプロパー融資は出せません」「うちはあなたに貸したら返ってこないと思っています」と言っているのと同じである。

だが、保証協会付きなら・・・という逃げ口実があるので、一応、何か前向きな仕事をしているように見えたりするのが良くない、さらに、保証協会付けでも当行の貸出増加に貢献してしまうのが余計に良くない。プロパー融資よりもお得感があるわけだ。保証協会付けは査定上のリスクウエイトもゼロである。

そうなれば、「リスクゼロ、貸出に貢献する保証協会付けだけやっていればいいじゃん」という金融機関ばかりになる。そして、多くの地域金融機関はそれだけでもギリギリ生計は成り立つだろう。一見、賢い生き残り戦略のように見える。

だが、よく考えてほしい。それしかやらないならば、その金融機関は社会的に必要ないわけだ。借りたい人がそれぞれ保証協会のウェブからでも申し込んだら良い。貸出資金は親玉である政策金融公庫が出せば良いだろう。そのほうが資金調達も安いし事務コストもかからない。みんなハッピーだ。

政策金融公庫は日本最大の貸主として零細企業の味方になれば良い。そして、保証協会しかやらない金融機関は免許を返上したらいいのではないか。金融機関は免許による独占事業であり、ある意味、みんながやりたいおいしい事業なのだ。だからこそ、限られた者だけにその魔法の杖を与えることにしている。それが金融機関免許だ。であるから、金融機関は純粋な民間企業ではなく半官半民。金融庁がいつでも目を光らせている社会の公器である。
そんな重要な社会システムたる金融機関が保証協会付けしかやらないのは業務を放棄しているわけだ。

では、そのような怠けた金融機関を再び働かせるにはどうしたらいいか。単純なことである。保証協会を廃止して、政策金融公庫にすればよい。保証協会付け融資と同じ条件で政策金融公庫が零細企業に貸せば良いのだ。利用者からすれば何も変わらない。

一方、民間金融機関は、多くの仕事を政策金融公庫に取られてしまうことになる。大赤字だ。つぶれるかもっと頑張るか。二択しかない。いくつかの金融機関は吸収されるだろう。
いいではないか、社会的な役は果たし終えた不要な箱だ。吸収されたら良い。誰にも迷惑はかからない。
そこで、がんばる金融機関はリスクをとってリターンを上げ、同時にコスト削減をして運営コストを下げる。そのような金融機関だけ生き残れば良い。それでもうまく貸せない金融機関は廃業するべきだ。

仕事をしていない金融機関に楽な餌を与え続ける保証協会のあり方はいかがなものだろう。もちろん、保証協会の仕事自体は意味がある。零細企業は金を借りられない。保証してくれるのは経済社会に必要な機能だ。
だが、それは政策金融公庫としてやったらどうなのだろうか。